| 岐阜県“人間と性”教育研究協議会 (岐阜性教協) たまゆら2025年12月号巻頭言 |
女性が人として働き、自分らしく生きるということ
| 教育系の短期大学を卒業後、特別支援学校に併設されている寄宿舎の指導員(当時は寮母)として就職をした。宿直、夜勤があり、結婚をし、子育てをしながら、働き続けることは厳しい時代であった。当時はイクメンという言葉も男性の育児休暇もなく二重保育、三重保育をしながらの仕事、子育てに追われる日々。また、妊娠中の泊り勤務は、妊婦やお腹の赤ちゃんにとって健康面でのリスクが高くなるが、宿直免除制度はなく、要求を重ねて行く中で、希望をすれば免除が可能となった。 今、振り返って見ると、子育てをしながら働きやすい環境を求めて、延長保育や、学童保育の整備等、常になにかしら社会と戦っていたように思う。 シングルマザーとなり、3人目の二女が大学を卒業したことを期に定年二年前に退職。 一年発起して東海学院大学の心理学科に社会人入学をした。学生が教授と間違えて、通りすがりに頭を下げてくれたことを可笑しく思い出す。年齢差が何十年もある、学生達と机を並べ、いったい、私は何歳なのか、実年齢を忘れてしまいそうなくらい無我夢中で勉強し、成績の評価に一喜一憂したことが、生涯の大切な宝物となっている。 息子と同年齢の着任したての先生がゼミ担当で、先生も母親と同じくらいの学生への対応はしんどかったと思うが、「僕が責任をもって必ず卒業させます!」と熱心に面倒を見てくださり、感謝しかない。レポートや試験、論文は大変で苦しかったが、今、振り返ると人生で一番、一生懸命に勉強し、学ぶことの楽しさを知り、視野を広げてくれた貴重な時間だった。 この二度目の学生生活時代は子どもたちに、「お母さん」ではなく、都さんと名前で呼んで欲しいと頼んだ。大学祭に子どもたちが来て、ゼミ担当の講師に、母をよろしくお願いしますと深々と頭を下げていたのが、面白くて今でも思い出す。この大学生活は女性でも母でもなく、人として自分自身を取り戻した、解放された、かけがえのない時間だった。 タイムリーに学んだ老年心理学の小論文を久しぶりに読んでみた。私は今、どのような高齢者として生きているのか。その時の小論文(老年心理学を学んで~自分自身の加齢観を見つめて)の文章の一部を掲載する。「老いる」ということについて発達と考えていく視点は、とても新鮮で希望と勇気を与えてもらえた。また「人は一生を通して、身体の成長と社会との相互作用によって新しい能力を獲得していく(E.H.Erikson)」という言葉は今後の私の生き方の指針となるだろう。現実に、私のかかわりの深い周辺の高齢者の生活実態を想起したときに、サクセスフル・エイジングの定義を実践されている方々が多いことに気づかされた。「かかわりの深い周辺の高齢者」の代表として、一番に浮かび上がったのが、性教協の浅野香子さんだった。今、浅野さんという、ロールモデルを得て、残された、これからの人生を、自分なりに、味わって歩いて行けたらと思う。 浅野さんをはじめ、仲間の皆さんと一緒に学びの場を与えていただけたことに感謝している。 |









