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 岐阜県“人間と性”教育研究協議会 (岐阜性教協)
たまゆら2019年1月号巻頭言

“両耳の間”の夢

 あけましておめでとうございます。みなさま、いい新年をお迎えでしょうか?
 昨年、「・・・私たちのいのちのつながりの数を、10代前(20~40歳の生殖年齢で310~330年)まで計算すると2,046人になりますが実際はそれ以上の無限大ですよね、現生人類が10万年前にアフリカから世界に広がったと言われていたのが17~19万年前だったと分かったとか。(2018/1/26朝日新聞)その途方もなく長~い時間軸のつながりと、射精時2~3億だった精子が2,3百になって卵子の卵膜を溶かし「偶然の必然」で1精子が受精し、成長して誕生した私たちが今こうして出会っていることは、本当にどれだけの確率なのかと思うんですよね~。」と、何度か若者やおとなに話す機会があった。そのたびに、ふう~ん~と考えこまれていた。(そしていつかは“虚空”に旅立つ存在でもある。)
 人はどの国でも、誰もが幸せになるために生まれてきたのだと思う。生物が生きられる唯一の星なのに、限られた資源や富の分配、宗教対立などで戦争・紛争が絶えず、環境破壊や殺戮にむかう中で必ず性暴力・性犯罪も起きている。国境に壁を作りたい権力者、違憲政策を続け「寄り添う」と言って美しい海に平然と土砂を投入し海のいのちを奪い、武器調達を含めた防衛費を5年で27兆4千7百憶(2018/12/19各紙報道)にもしたい権力者も、直接・間接的に国民が選んだが望んだことだろうか。また、自身の権力維持のため阻む人を抑殺する独裁者もいる星。
 戦後廃棄した教育勅語を幼稚園児に暗唱させていた団体に、国が8億円もの値引きなどしていた「モリトモ」問題等も責任はうやむやに、財務省事務次官の女性ジャーナリストへのセクハラでは、財務大臣が「はめられたのでは」とか「セクハラ罪という罪はない」と平気で述べた。旧優生保護法下の障がい者等への強制不妊手術にも、「救済」と「私たちは」の用語で国家責任と賠償問題であることをすり替えていないだろうか。文科省の不正から発覚した医学部入試の女性などへの差別、前号にもある「#MeToo」の性被害者や、多様な性を生きる方々の人権回復の訴えもつづく。敗戦の混乱時、性接待を強いられた満蒙開拓団の女性の告発は岐阜県内からだった。弱い立場の子どもや女性、障がい児・者、マイノリティの人への権利侵害など、この何十年来潜在化し・させられていたことがこれでもかと明るみにでた。そのどれもが、重大な人権侵害を受け続けていた当事者の方々や良心に基づいた勇気ある関係者からの告発であり、国際的外圧のたまものだったのだと思う。
 また、飢餓や貧困に苦しむ人や国は、1%の人の富を99%の人々に適正再配分する経済政策で改善の方向に向かえないものか。これらを解決に向かわせるキーワードは、個々の人権を守る世界の実現にむけて注力している国連を強化し、包括的性教育を提唱する国際セクシュアリティ教育ガイダンスなどの教育観にあるように思えてならない。人間としての対等平等と人権尊重は世界の人と国家間につながり、その多様性の尊重で温かな関係をつくることにあると思うからだ。人間の「両耳の間にあるもの」を、地球や宇宙を視野に考えられる子や人との共育でと願う。「セクシュアリティは両足の間でなく両耳の間(脳)にある」と言ったメアリー・カルデロンの言葉の「両耳の間」は、あらゆることがらに共通するのだと思う。地に足をつけて、みんなで夢は大~きく、少しでもよい年にしたいと望みながら。