岐阜県“人間と性”教育研究協議会 (岐阜性教協) たまゆら2025年6月号巻頭言 |
普通って何だろう?
学校を離れて4年。25年養護教諭をしてきましたが、今は全くの畑違いの環境に身を置いている。だからこそ、新しい発見ばかり、学ぶことばかりの日々。 学校現場にいたら50歳はベテラン。でも今の仕事では90代、80代の先輩がいたりして、先輩方から「まだまだ若い!これからよ」と言われれば、「そうだよな」としかいえない。 子どものころ50代のイメージは「大人」。でも実際に50代になってみて思うのは、意外と「気が付いたら50代になっていた」みたいな感覚で、一向に「大人」になっている感覚がなかったりする。 また、その時の服装やヘアスタイルで「今日は大人っぽいですね」なんて言われることがあるけれど、50代は十分“大人”の年齢だったりする。 一体「大人」とはなんなのだろうか?どんな人が当てはまるのだろうか?と思ったりする。 そして、世の中には自分の人生なのに、周囲に合わせ、家族に合わせ、子どもに合わせ、パートナーに合わせる生き方をしている人がこんなにも多いのかと、それにも驚かされた。自分自身がパートや正社員で働いているのに、何かを買うなど決めるときに「家族に相談してみます」と答える人の多いこと。自分のことなのに、自分の思いをメインにしない人の多いこと。そう考える大人と一緒に暮らしていたら、子どもたちも同じようになるのは当然のことだと思う。 性教育を学び、自分の枠が広がったと思っていたけれど、まだまだ思い込みや決めつけている自分に出会ってびっくりしている。 収入を得るということについても、何かの対価を払って得ているということも考えたことがなく、時間になったら出勤し、時間になったら退勤する。それが“当たり前”だと思っていた。でも、世の中には働く時間も場所も自分で決めて、いくら稼ぐのかですら決めて動いている人がいることも知った。 たくさんの人にご縁があって、世の中はこんなにも多様で、50代になっても、知らないことばかりだ。だからこそ毎日が新鮮で、時間の流れが早い。自分自身が“気が付いたら50代になっていた”ように人生は長いようであっという間。 人は人生の最後にこんなことを思う人が多いらしい。 「人生もっと冒険しておけばよかった」 人生の最後をガッツポーズで迎えるような生き方をしたいと思う。 |