レインボーぎふ
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レインボーぎふ

マイノリティーの集い

場所 “人間と性”教育文化センター事務所
参加ご希望のかたは、メールまたはFaxでお問い合わせください。
E-mail: ningento@plum.ocn.ne.jp
Fax :058-201-6730

21回~40回1回目~20回目

 活動報告


第20回目の集い 2008年10月17日
  
「性同一性障がい者性別取り扱い特例法」の「子なし条件」が「現在未成年の子がいないこと」に改正された。
運動の成果だ。一歩前進だが、まだまだ先はある。

しかし、動いたからこそ前進した。

もう年だから引退しようと思ってた。しかし、若い人のために、これからも前に出るつもりだ。
いろいろあった。仕事にも、家族にも。今、仲良く暮らしている。
世間に広めようと、チラシ配りもしている。 どんな差別も、いけない。
 
今年、カミングアウトをした。パートナーも応援してくれた。労働者集会でも、知り合いが祝ってくれた。
以前は、女性が好きだった。今は、男性が好きになってきた。


性別をかえたら、人生でやりたいことが見つかり、今学生になった。
マイノリティの友達が増えた。ネットでも友達ができた。
生活は、公表してもあまり変わらない。
 
レインボーに参加するようになってから、自分らしさを大切にして生きていこうと思えるようになった。
自宅では、自由にしている。仕事場では、自分からいわない。聞かれたら伝えようと思っている。
出張の日、男性の姿で一日いたら、疲れた。

今は、大学毎に、マイノリティの会がある。自分の学生時代にもあったなら、…。

セクシャルマイノリティは、全員異なる。マイノリティも。
 
自分は、自分だから、人がどういおうと、自分らしく生きればいい。

今回の参加者は、11人でした。


第19回目の集い 2008年8月10日
  
 女性の格好がしたいと思ったのが始まり。
医者で、性同一性障碍と診断された。
男性の時は、言葉が攻撃的で批判的だった。女性になると、
周りとの兼ね合い、バランスを考えて行動するようになった。
女性としての生き方は、自分に合うのでうれしい。

産婦人科も少ないが、ジェンダークリニックも少ない。
多いと気軽にいける・・・。

免許証には、男女の表示はない。だから、免許を取ることにした。
教官は、始め「男のくせに一度で覚えられんのか。」とか、「このくらいやれー。」
とか厳しく接していたが、書類を見て女性と分かったとたんに、
何度も教えてくれたり口調が優しくなったりした・・・。
生徒は、同じ人なのに・・・この変わりよう?

最近、女性として見られることが多くなった。
本当にそうです。

とにかくスカートがはきたいんだ。男がスカートはいて何が悪い。
男・女どっちでもいい。男・女と区別してほしくない・・・。
女性が男性の格好をしても非難されないのに、逆だと非難される。

自分は自分、女性らしく、男性らしく、どちらでも関係なく、体も生き方も様々です。

性は、グラデーションだから、割り切れることではない。
人の数だけ、種類がある。
型にはめなくてよい。はめること自体が無理。無理強いなどもってのほか!
それを知らない人は、当てはまらない人を見るとパニックになる。

知らなきゃ。


今日も、初めての参加者があり、全部で14名でした。


第18回目の集い 2008年6月15日
 
 
  8月には名古屋で、全国セミナーがあり、分科会の
「多様な性」で、性同一性障がい者を取り上げます。
ぜひ参加を!

 最近テレビドラマの「ラストフレンズ」や漫画の「IS」、
「りっちゃん」など、若者の間で人気があるんだって。
女の子が男装して、男子校へ通うドラマもあるんだって。
「職場で、カミングアウトをしたら、全員ではないが認めてく
れたんだ。」という。世の中いい方に変わってきた。
 でも、ドラマの中で、当事者を「ばけもの」だなんて呼んで
ほしくない。「なべ」「おかま」という言葉も耳にしたくない。
 ハンセン病の人も、「反戦(ハンセン)」にも敏感なのだ。
同様だ。

 いつでも、自分らしく生きていきたい。
「当事者だから、皆が経験できないことができる俺の人生、
案外いいよ。」なんて言う彼が、輝いて見えた。

 今日も、二人新しい人の参加があったが、すぐ和んだよう。
いい雰囲気の会でした。
 


第17回目の集い 2008年4月20日
 
 
今日も、新聞記事(大阪のMTFの方)の話題から始まりました。
 7・8年前の総会に講演していただいた方です。 
 自身が「性同一性障碍」で「心が女性」だと分かるまでに、
 30年以上もかかり、性別に対する違和感に苦しんだ。
 現在は、「男女」の性を超えた「ありのままの自分」として、
 生きる心地よさを感じているそうです。
 
 九条を変えないという考えが、4年前は4割だったが、最近は6割になった。
 しかし、新憲法会議が組織を作って活動し始めた。
 軍隊は、性マイノリティの人にとっても地獄だ。戦争から守らなければいけない。
 
 戦国時代の異国の宣教師の著書に記されていた。その頃は女性は男性の前を
 歩いていた。外出も自由だった。徳川時代になり、武士以外の庶民は自由。
 結婚も自由。戸籍もない。昔も性同一性障碍の人はいた。人も自然なんだから。
 
 本来の性で仕事をしている人が多いね。女装(MTF)より男装(FTM)の人の方が、
 世間の目は優しいね。どちらにしても、心地よく生きたいんだ。
 いつもKさんは、「性別にとらわれなくても、自分は自分らしく(ありのままの自分)
 として生きることが大切だよ。」としみじみ言われる。  
 
 今日は、9名の参加でした。
 3年ぶりに参加された方があり、うれしかったです。
 


第16回目の集い 2008年2月24日
 
 まず、新聞記事3部の話題から始まりました。
 一つは、岡山大病院に、性同一性障碍を訴えて受診された
661人へのアンケート調査結果について。
661人の内、三分の二はFTMの方だった。
自分の性に違和感を感じた年齢やいじめにあった人、不登校があった時期など。
調査結果から、学校では教師が性同一性障碍に

関する正しい知識をもつことや相談しやすい態勢を整えることが必要だといえる。
二つめは、性同一性障碍を理由に解雇された人が勝利。和解が成立したこと。
三つめは、女性の下着を身につけていると安心感をもつ男性が、いること。
 
 ホルモン剤は副作用があるのか。女性ホルモンを飲むと、抜け毛が減った。
ひげの伸びも少なくなった。都市や田舎などの環境によって、暮らしにくさが違う。
トイレは実に使いにくい。共有トイレがあるといい。
 
 ここ数日寒い日が続くので、参加が少ないかと思いましたが、13名の参加でした。



第15回目の集い 2007年12月9日
 
 性同一性障碍者の中村中さんのようにカミングアウトをして、
自分の思うまま気楽に過ごせるといい。中村さんが、紅白に
出て歌うなんていい時代になったものだ。
我々も、カミングアウトしよう。
受け入れられる人とつきあえばいい。
カミングアウトをして、周囲の人を驚かせたが、今はいい関係だ。
残りの人生、自分は自分。自分らしく生きていきたい。
しかし、地域や親戚のしがらみでできない人もいる。
自分の居心地のよい生き方をしていけばいい。
自分で自分の生き方を決めていくんだ。
みんないろいろでいい。

今回も、少し自分の生き方を探ることができました。
今日の皆の思いを、少しでも多くの人に知らせ、誰もが
生きたいように生きていける世の中にしていきたい。
今日の参加者は、9名でした。


第14回目の集い 2007年10月14日

  「レインボーぎふ」の会は、みんなにとってどういう会であったらいいのか
あらためて考えてみる内容のある時間を共有できました。

Sexual Minorityのこと、性に関することは機会をとらえて
繰り返しアピールを続けていかないと、世の中に認められていかない、
世の中は変わらない。
だから何かやれることはないかも話し合うことができました。


第13回目の集い 2007年8月26日

 8月26日の参加者は、10名でした。暑い日でしたが、終始お互いに分かり
合おうとする努力が感じられ、温かい雰囲気でした。

 8月18~20日に東京で、アジア性教育学術会議があったんだ。
中国や台湾では、保守的な考えがまだまだ根強く、性教育に関わ
っている人にさえ、性同一性障がいは治るものと考えている人がいたんだ。
日本にも、関わっている人には少ないとしても、他国と同様にまだまだなんだね。
 マイノリティについて、全般に女性は受け入れてくれやすいが、男性は受け
入れてくれにくいね。だから、女性と話してる方がしっくりいくよ。それに、子どもの
頃から、男子は暴力的で強くないと男じゃないという感じがして嫌いだったんだ。
 同性愛者も異性愛者も性同一性障がい者も、生まれつきと言われるけど、
そうじゃない時があって揺れるものだよ。カミングアウトした橋本さんも、同性愛・
異性愛と揺れるときがあったというよ。性同一性障がい者ならなおさらだ。しかし、
一般の人には、生まれつきのものと言った方が、分かりやすいんだ。
 性同一性障がい者は、国が受け入れ、法律で守られているが、
未だに同性愛は法律がない。どうなることか。へこまないようにしなくちゃ。

 なお、9月30日の母親大会の第9分科会は、田中良さんの「豊かに生きる」
というテーマで話します。10月6日の東海・近畿サークル・・・集会でも、
岐阜大学でレインボーの仲間がスピーチします。是非来て下さい。




第12回目の集い 2007年6月17日

 参加者は、14名だった。
性同一性障害者にとって、男女に分けてあるものは、使用しにくいね。
更衣室にしても、トイレにしても、トレーニング服も・・・・。中性用ができても、入るのに勇気がいる。
多目的トイレに入ると、障がい者が待っていると悪いなあと思って、使えない。
女性の姿をしていても、入りにくいトイレもあるね。

自分が生きたいように生きられる世の中にしたいね。
地域では、「こういう人だ」と知られているから見られても平気だよ。
子どもは、正直だからじろじろ見る。子どもにこそ、いろいろな性があることを教えなくちゃ。

田中良さんは、講演毎に、様々な性について語っている。
まだまだ知らない人が多い。多くは、素直に聞いてくれる。
みんなで、訴えていこう!


第11回目の集い 2007年4月8日

 参加者は12名でした。
 3月4日の東海セミナーには、大勢の参加者がありました。
当事者や意識のある人が参加していたからか、誰もがどの話にも真剣に耳を傾けていたね。
興味深げにこそこそと話す人がいなかったから、本当に参加してよかったと思ったよ。
 未成年の人も来ていました。彼ら(彼女)の「まだ揺れてる。」と
言うことばに、「若いんだから揺れてていい。」とアドバイスをしたよ。
 しかし、この日の夜、以前数回事務所を訪ねていた性同一性障害の方が、逝ってしまったという。
「無念だ。何のために、今までの活動をしてきたのか・・何のためにこういう会があるのだ。・・・」と悔やみきれない。
 もっと、もっと、広めなければ。「こういう人が世間にはいるんだ!」
ということを。それに、もっと、みんなが、男装・女装の人を見慣れることが大切だ。見慣れないといけない!


 
第10回目の集い 2007年2月4日

11名の参加でした。
「レインボーの会は、自分を素直にさせる場だね。ここに来ると、楽になる。差別がないもんね。」
と、誰からともなくつぶやきながら、会の主旨を再確認。
カミングアウトや治療は、慎重にしなくちゃいけないよ。
したかったら、社会にもまれて、女(男)として生きていきたい、生きていけると自覚してからの方がいいよ。
自分の今置かれている環境で、自分の性で生きていけるかをよく吟味した方がいいね。
その判断が難しいんだよね。うーん・・・。
今まであまりでなかった話題でした。
3月4日の東海セミナーでは、当会員の4名の方がパネラーとして話します。是非、参加してください。


第9回目の集い 2006年12月3日

ひとりひとりの近況報告の中からでてきた内容です。
・まわりの人も、特に何も言わないので、
 飲み会やお楽しみ会などにも普通に参加しています。
・職場で、パワーハウスメントを受けたことの話し。
・この場に出てきて、みんなに会って、おしゃべりするだけでもホッとする。
・他人に何かしてもらったらお礼を言うとか、
 相手の気持ちを考えて発言するとか、自分の意見だけを言うのではなく、
 相手の話も最後まで聞くなど、人間として最低限守るべきルールを忘れていないか・・・
 という、参加者への意見もありました。

多くの人が参加され、回数も重ねてきた「レインボーぎふ」ですが、
ひとりひとりを大切にしながら、参加してよかったと思える会になるといいなぁと思いました。
私にとって、ひとりの人間として自分の生き方を考えさせられる貴重な場となっています。


第8回目の集い 2006年10月22日

初参加者2名、計11名。
今回は、声帯や脱毛、会社、家族等、生活により密着した話題になった。
声帯手術の報告あり。性同一性障碍者にとって、外見はカバーできるが、声は難しい。普段から意識して会話している。しかし、くしゃみはまとも。
「あれ?」と言われるのはつらい。いつの間にか時間がたち、最後に、「年だから諦めていたけれど、こういう会に何度の参加するうちに、自分本来に生き方で生きていきたいと前向きになってきた」
と、さりげなくしみじみと話されたKさんでした。



第7回目の集い 2006年8月20日

今回の参加者は、10名程だった。
安心してスカートをはいて来れるし、心が安らぐのは自宅とこの会だと何時間もかけて駆け付ける方に「参加する毎にお化粧が上手になっていくね。」のMさんの言葉。ぽっと顔が赤く染まる。周りも「そう、そう。」と賛同。勇気をもらい、自信に繋がる。この会ならではの素敵な場面だった。
 今日は、7回目にして、会発足時の初心に戻り主旨を再確認し合う貴重な会となった。


第6回目の集い 2006年6月25日

 今回、初めて身体障がい者(肢体不自由)で、
性同一性障がい者のMさんが参加され、文字盤での会話でした。
MtFのMさんの場合は、自分の声(男声)がイヤで、文字盤を使っている面もあって、
共感の声もありました。
話題の中心は、主に服装のこと、髪の毛のこと、声のことでした。
女性の服装をするようになった経過や、それに対するまわりの人の反応の変化など交流しあいました。
髪は、長い髪にしたいが、仕事中はじゃまになることも。
成長して、男の声になるのがイヤだった。低い声と高い声と使い分けるようにしている。
高い声は、ちょうどいい音の高さの響くCDを何年も聴いて練習した。
服装・髪型・声など、すべてその人らしさを表すもので、自分らしく生きようと少しずつ変えようとすると、
まわりの人に自分のことを知ってもらわなければならない。
そういうことができて、すこし生きやすくなってきたという人もありました。



第5回目の集い 2006年4月16日

 新しい方も2名参加され、15人の参加者でした。
 一人ずつ近況報告や悩みごとなど、じっくりと話し合いました。
その後は、席を移動しながら自分の聞きたいことなど、もっと具体的な話もできました。
毎回新しい話題づくりはありませんが、心許せる場でゆったりとした時間を過ごすことができました。



第4回目の集い 2006年2月26日

 2月26日、レインボーぎふの4回目の例会を行いました。
レインボーぎふとは、性同一性障害の人や同性愛の人などマイノリティの人たちの集まりです。
 今回は4回目の集会でした。ホームページを見て、県外から数人参加されました。
 性同一性障害で手術された方が複数いて、手術についての質問もあり、体験者がそれに答えていました。
 また、地域で偏見の目で見られるために、カミングアウトできない悩みや近況を話し合いました。



第3回目の集い 2005年11月17日

全員で10人以上集まりました。
第2回目から半年近く期間があいてしまったので、まずはお互いに近況報告など…。
新しい仕事についた人、改名が済んだ人など、嬉しい報告もありました。
今後の集いの運営についても話し合いました。



第2回目の集い 2005年5月29日

2ヶ月ぶりの再会となり、特別大きな変化はありませんでしたが、
メンバーの親しみが増しました。
それぞれの状況はあまり変わらなくても、お互いに話を聞いてアドバイスしたり、
一生懸命考えたりする中で、新しい道を探ることができました。
名刺交換やHPのアドレスの教えあいをしている人もいました。
また初めて参加する人もいて、新しい友達が増えました。



第1回目の集い 2005年3月13日

初めての集いには20人近くの当事者が集まりました。
自殺未遂を繰り返してきた話、親を恨んで殺したいと思った話、
就職先で差別されてクビになった話、友達が作れない話など、深刻な話題が多かったです。
しかし、差別や偏見のない空間で、それぞれが自分の思いを話すことができました。